エジプト映画「ヤギのアリーとイブラヒム」の上映会
が9月2日に東京の早稲田大学戸山キャンパスで行われた。いわゆる文学部キャンパスのことだが、勘違いして理工学部(西早稲田キャンパスというらしい)に行ってしまい、20分遅刻。
作品は、死んだフィアンセ、ナダの化身であるヤギを溺愛する男アリーと、正体不明の金属音の耳鳴りに悩まされる男イブラヒムという二人組のロードムービー。黒魔術の「この石を地中海、紅海、ナイル川の三ヶ所に投げ入れよ」という指示に従い、二人とヤギが地中海沿岸の都市アレクサンドリア、シナイ半島の紅海リゾート(ダハブ?)を巡る。
ネタバレをしてもよくないので、なるほどな〜と思ったことを少し。
■輪廻転生はタブーじゃないのか
上映後の監督ティーチインの聞き役になっていた大稔哲也・早稲田大教授が指摘してハッと気づいた。アリーがヤギをフィアンセの生まれ変わりだと信じていたのは、輪廻転生思想ではないのか。輪廻を信じる宗教は、中東ではシリアのドゥルーズ派などごくごく少数だ。
これに対し、シェリーフ・エル=ベンダーリー監督は、「動物と人間の受け入れられない関係を描こうと脚本家と考えた」と言っていた。宗教的タブーを承知で作品に取り入れた表現者としての勇気を感じた。
■この映画はBLを描いたのか
観客からユニークな質問があった。「日本ではボーイズラブものというジャンルがある。映画の主人公2人も男の友情にしては親密だった。アジア的感性も意識して男同士の関係を描いたということなのか?」
そんな趣旨の質問だった。監督は「エジプト人は、他の国に比べて身体的に親密度の高い感情表現がある。(主人公2人に友情以上のものを感じるのは)観る人の解釈だと思うが、私そういう意図はない。それは映画を観てもらえば、自明だ」と答えていた。
まあ、それはそうだろう。シラを切っているわけではないでしょう。でも観る人によりさまざまな感じ方があるということをこの質問で改めて感じた。映画の素晴らしい点の一つ。
■騒音と壊れゆく大都会カイロ
作品は、音も大きなテーマだった。イブラヒムは、自分を悩ませる耳鳴りから逃れ「静かな音」を求めて旅にでる。カイロに行ったことがある人は、立場は違えど、静かさを求める気持ちには、大いに共感するはずだ。
監督も言っていた。「私自身、カイロの騒音に本当に苦労している。自動車を運転する時は、窓を閉めてクラシック音楽をかけたりする。風景と音楽のギャップが好きだ」
監督は、どうも、カイロの騒音のすさまじさが苦手だというだけでなく、騒音を含めたカイロの現状に深い危機感を覚えていたようだ。
監督は、カイロのイスラム地区のいわゆる「死者の町」と呼ばれる墓地に人びとが暮らす一帯もシーンに取り込んだ。
監督は基本的に、イスラム地区など古いカイロは美しい場所だと考えているようだった。「主人公がカイロと深くつながっているという設定にしたかった。カイロには美しいが放置されている場所が多くある」
一方で監督はこうも言った。「この街自体が崩壊しかけ、まさに死に体になっている。それをこの映画で訴えたかった」
映像に明示的に示されているとは感じなかったが、そんな監督の思いを直接聞くと、この映画への感じ方も少し変わってくるような気がした。
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